蔵

3.薬罐逆意

――"顔で笑って 心で泣いて 「そうよね」って 涙はみせないの"
(『メギツネ』(『メギツネ』 BABYMETAL、2013))


「もうっ、司令官のケチ!!」
 白い廊下が、少女の叫び声で揺れた。
 それどころか、鎮守府全体が傾かんばかりの怒号だった。
 立春を過ぎたとはいえ、まだ厳しい寒さが続く鎮守府の空気は張り裂けそうであった。
 怒号を発した少女は、頬を膨らませてプイと司令官に背を向け、大股で歩き始めた。
 振り向きざまから後姿が見えなくなるまで、艶やかな赤いポニーテールが炎のように揺らめいていた。
「……やれやれ。」
 その後姿を見送ると、司令官は執務室の方へ向き直して歩こうとした。
 が、その動作は目前の奇怪な光景により止めざるを得なかった。

 目の前に、空中からぶら下がる半球形の物体があった。
 全体は金色で、下部は平ら。上部には黒い取っ手があり、側面には一つだけ砲身のようなものが付いており……
 と、物体を具に分析するまでもない。これは薬缶だ。しかも執務室のやかんストーブにかけてあるものである。
 執務室と給湯室の間くらいしか行き来しないはずの薬缶が廊下にあることは認めるにしても、薬缶の取っ手に結んである糸の先にいるカ号が問題だ。

「ここは本土の屋根ではないはずのですが……どうして薬缶吊るが出てくるのです、龍驤?」
「いや~、さっきのはキッツイ声やったな~。」
「……確か薬缶は真鍮製でしたよね。」
 話を勝手に切り替えた龍驤に対して、司令官も勝手に話を切り替えることにした。
 目を細めて微笑みながら、胸ポケットに挟んでいたマジックペンのキャップを開いて薬缶に何かを描く仕草をする。
「左上に土星、右上に火星のシンボルを描いて外側に天使文字を記して真ん中に瓶の形を描き込めんだ二重円を描けば……。」
「アカン!アカンてそれはっ?!」
 対面に立っていた龍驤は、司令官が実際に描いているのか描いている振りをしているのか判断できずに慌てた。
 何を描こうとしているかを察したのは、去年のクリスマスのときに酷い目に遭った経験の賜物である。
「何故です?古今東西最も著名な彼の真鍮器ならば、式神も封印できるかもしれませんよ?」
 顔を半分薬缶に隠しながら真顔で語る司令官に龍驤は笑うべきか焦るべきか躊躇したが、焦るべきと判断した。
「クリスマスんときみたいなことはもう勘弁してや!ホンマ、この通りやからっ!!」
 手を合わせて頭を下げる龍驤。
「巻物に描かれた生命の樹、あれは神秘でしたねぇ……。」
「思い出しただけで悪夢や……。」
 何故、陰陽道を端とするであろう式神を生命の樹が描かれた巻物の上を走らせても艦載機に変化するのか。
 その神秘に驚嘆した司令官は、半刻の間龍驤を追い回し、遂に巻物を簒奪して一晩じっくりと観察した。
 それが、去年のクリスマスに起きた事件である。
「もしかしてそのカ号、どこかにEMETHと書いてあるのではないですか?」
「書いてあるかい、そんな呪文!」
「大丈夫ですよ、頭文字のEを削ったりしませんから。」
「ナイフ片手にそんなこと言われても信用できんわ!つーかどこから取り出したんそのナイフ?!」
 矢継ぎ早に繰り出される攻撃を受け流すので龍驤は精一杯だった。そして龍驤は負けを悟った。
 これで司令官には19勝72敗。奇しくも、刻まれた敗北の数は真鍮器に封じられた魔神と同じ数字である。
 75やったら管狐の数になるんかー、とかおぼろげに考えたが即座に否定した。
 あれも確かに容器に入れられて使役されてるが。

「……しゃあない、話したるわ。やかんストーブが部屋から追い出されたから持ってた。それだけや。」
 龍驤は漸く、薬缶を持ち歩いていた理由を白状した。司令官の勝利がもたらした情報である。
「それにしてもイムヤには困ったものです。秋には禁断の果実が欲しいと言っていたのに、今度はレッサーパンダが欲しいと言い出しましてね。」
「おいこら、何話さなくてもええことを話してるんや。」
 それじゃウチの負けはなんやったんや、と龍驤は司令官を睨み付ける。
 しかし、司令官は勝負なんかしてましたっけ?ととぼけた視線を返す。
 龍驤は溜息を付くしかない。
 そうだ、この司令官は自分の知っている情報を他人に教えたがるのだ。
 まるで鞍馬天狗のように。
「……そういえば年末に画期的なスマホが出た言うてたな。」
「ええ。ですが彼女のスマホは2年の期限にはまだ早いので却下しました。」
「で、あの劈き声か。」
「そういうことです。人造人間も悪くないと思うのですがねぇ。」
「キミが人造人間ゆーと別のものに聞こえるわ。」
「40日間男性のアレと馬糞とハーブを腐敗させた後に、人血を与えながら馬の胎内の温度で40週間保存……やっても良いのですが、電に止められそうですね。」
「誰でも止めるわっ!ちゅうかなんで製造方法さらっと暗記しとるん?!」
「馬といえばそろそろ初午でしたっけ。とすると霜漬提督の艦隊に所属する鬼怒にアレを作って頂かないといけませんかね。」
「それはウマ違いや!それよりアレってまさかシモツカレか……?!」
「当たり前です。あれを食べないとどうもこの時季という気分がしなくて調子が狂うのですよ。」
「……さよか。」
 ああもう、ツッコミが追い付かれへん。龍驤はそっと悪態を付くより他なかった。

「みんな違うから楽しいのですよ。貴女も、私も。」
「ああ、人造人間。」
 話が一周したところで、司令官は漸く満足したらしい。
 司令官に話の主導権を握らせたら最後。
 坂を薬缶や鑵子、ざるが転がり落ちるように人がつんのめるまで止まらないことを龍驤はよく知っていた。
 何故龍驤の脳内坂で薬缶が転がり落ちて行ったのかは不明だが、おそらく薬缶を吊るしているカ号がそろそろ限界だからだと無理やり納得させた。

「それで、やかんストーブが追い出されたとは一体……?」
 私の迷い家になんてことを、と呟いたのを龍驤は聞き逃さなかった。あ、やっぱりあの執務室は迷い家インスパイアなんか。
「それが、突然金剛がエライ形相で執務室に上がり込んできてな。執務室を模様替えするゆーて。」
「……なんですって?」
 一瞬、司令官の周りの空気が凍り付いた。
 せやから、あんな問答しとる場合やなかったと思うんやけど。と龍驤は思ったが後の祭りである。

「Oh, my god!」
 執務室のドアを開け放つと、そこには異界が広がっていた。
 真紅のビロード製絨毯にチェック柄の洋風の壁紙。
 床の紅との対比によって清潔感が強調される純白のカーテンと小窓。
 壁には暖炉が設置され、その反対側には白百合が咲く草原とその奥の運河を航行する船の姿が描かれたステンドグラスが据えられている。
 部屋の真ん中には大きなテーブルと、その上には大量のスコーンやパンケーキ。
「司令官さん!あの、そのっ……。」
 タタール羊の毛がふんだんに使われた柔らかいソファには、おそらく無理やり座らせられたであろう電が紅茶を手にしていた。
「Hey, テートクー!紅茶が飲みたいネー!」
 現在となっては入手困難なマホガニーの椅子で足を組みながら振り返ったのはこの部屋を改造した張本人。
 その満面の笑みを見て司令官はよろめき、付いて来た龍驤は驚愕した。

「金剛。」
「テートクがワタシから目を離すからデース。」
 金剛は悪びれる様子もなく、電探のようなヘアバンドを上下に揺らしている。
 しかし、顔は膨れっ面である。
 それを見て顔を覆う司令官。
「……貴女は、今までに消費した特注家具職人の数を覚えていますか?」
「Hmm, 覚えてないネー。」
「418人です!」
「そんなワケあるかい!」
「HAHAHA! I'm a tea pot, short and stoutネー!」
 あまりにデタラメな職人の数に龍驤が突っ込むが、金剛はしっかり切り返した。
 一見すれば、執務室の模様替えという暴挙(しかも家具職人を無断使用して)を行っている状態。
 その状態を考えるとまず正気を疑うところだが、司令官の意趣をきっちり受け取ったということは彼女は冷静であるということか。
 龍驤は状況を即座に分析し、ここが戦場であることを悟った。
 部屋のコーディネートはいわば結界。
 この空間は全て、呼吸する空気の分子一つまでも金剛が掌握しているという空気を造る舞台装置である。
 結界に足を踏み入れたら最後、場の空気に飲まれて正常な思考を失うのである。

 部屋全体に不穏な空気が流れていることは、電も分かっている。
 だからこそ、困惑しているのである。
 これから戦いを仕掛けるであろう金剛は、差し詰め狐であろうか。
 線のように目を細め、不敵な笑みを浮かべた。

「テートクは紅茶に何を合わせマスかー?Cupcake? Doughnut? それともFroyoデスかー?」
 次の瞬間、金剛は司令官に紅茶を勧めた。
 マシンガンのように淀みなく超高速でお菓子の名前を羅列し、反論の余地を一切与えない。
「いや、今だったらロリポップが最新でしょう。」
「ロリコン?!やっぱりテートクはLolita Complexなのデスネー!」
「誰もそんなことは言ってないでしょう?!」
「はわわわわ……。」
 龍驤は気付いた。今の質問は巧妙な罠だと。
 カップケーキ、ドーナッツ、フローズンヨーグルト……と並べれば、今の司令官ならば必ずロリポップと返すだろう。
 わざとロリポップと言わせ、さらにロリコンと聞き返すことで、あらぬ嫌疑を掛けさせるつもりなのだ。
 しかも、途中で言葉を遮られないように文言の間やスピードも計算されていた。
 最後まで言い終わったところで初めて返答を許すことで、確実に意図した答えが得られる状況に追い込んだのだ。
「そうデスヨネー!テートクはロリコンデース!電ちゃんに響ちゃん、皐月ちゃんともmarragedですものネ!!」
「くっ……!」
 ……ロリコンは強ちあらぬ嫌疑ではないのではないだろうか。龍驤は思い直した。
 電、響、皐月とケッコン済みなことは紛れもない事実であり、司令官にとってはアキレス腱なのである。
「ワタシは電ちゃんが練度maxになったときから練度maxだったのに、響ちゃんや皐月ちゃんに追い抜かれたネ……。」
 金剛はあくまで笑みを崩さないが、その声には哀愁が漂っていた。
 ここは修羅場という名のイベント海域。
 その目的は、明らかであった。
 司令官は咄嗟に、金剛だけでなく比叡達姉妹揃って最高練度に達していることを指摘しようと考えたが、火に油を注ぐだけと判断して口を噤んだ。
 切り返す手札があまりにも少なすぎる。
 そして、金剛からさらに最終審判が告げられた。

「……テートクぅ、この前、暁ちゃんとlunchしてたデース……。」
「なのですっ?!」「なんやてっ?!」
「……。」
 司令官は沈黙を破らない。
 それは、否定しても仕方のないという諦観から生まれた、暗黙の肯定であった。
「暁ちゃん、lunchの後真っ赤な顔してたデース……。しかも、left handを必死に隠してたネー……。」
 金剛の声が、とてつもなく重い。
 普段のハイテンションからは考えられないような低いトーン。
 決して威圧感のある声質ではないはずなのに、それでも棲鬼ですら怖気付くような強烈な圧力を発していた。
「ワタシ、暁ちゃんにも追い越されましタ……!」
 ごくり、刑の執行を待つ囚人のように、ただ断罪の言葉を待つだけとなった司令官が唾を飲んだ。

「テートク!ワタシも限界突破したいデース!!」
 ついに放たれた金剛の砲弾。
 執務室に訪れる暫しの静寂。司令官は返す言葉に詰まっているように見える。
 被弾したのか、それとも回避したのか。表情からはまだ判断できない。
 すると、司令官は意外なことを口にした。
「……そんなに望むのであれば、それ相応の条件があります。」
「条件デスか?」
 突然語られた司令官の言葉に、場の空気が一層張り詰めた。
 司令官は、まだ負けを認めていない。夜戦に突入したのだ。
「私の舌を満足させるカレーを作ってもらいましょう。」
「Curry、臨むところデス!」
 形勢が傾いた、と電と龍驤は感付いた。
 今まで受け身一辺倒だった司令官だが、話を小出しにして金剛を喰い付かせ、そのまま自分のペースに持ち込むつもりである。
 ケッコンのための条件を提示された、つまり、否定されなかったことで、金剛はそちらに意識を奪われてしまっている。
「ただし、材料は私指定のものです。」
「どんなものでもHead-Cha-Laデース!」
 どんな材料であったとしても、金剛なら自慢の圧力鍋で跡形も無くなるまで煮詰めるだろう。
 材料の指定を龍驤は訝しむ。話の流れが読めない。何が狙いなのか。

「そして、完成したものは私がイメージしたものになっていなければなりません。」
「それはワタシへの挑戦状デスネー!負けませんヨ!」
 その言葉に司令官は微笑んだ。
「良いでしょう。基本の材料は……人参と大根です。」
 人参、次に大根。それを聞いて龍驤は戦慄した。
 司令官が何をしようとしているかが分かってしまったからだ。
「それから炒った大豆、鮭の頭、そして酒粕です。油揚げを加えるなど、多少のアレンジをしても構いません。」
「随分変わった材料ですネ……難しいデース。」
「ちょい待ってやキミぃ!それはもしかしなくても……!」
 予想が確信に変わった瞬間、龍驤は無意識のうちに声を張り上げていた。あれはアカン!
「龍驤はこのカレーのことをよく知っているようですね。そう、このカレーは少々特殊で、難しい料理なのです。私が食べられるレベルになるまでは龍驤に試食してもらうと良いでしょう。」
「んなっ?!」
 これ以上ない笑顔で司令官が笑った。無論、悪魔の笑みだ。
 今まで無関係な第三者だったはずなのに、巻き込まれた。
 料理を知らない金剛、そして先ほど廊下でその料理の話をした龍驤。
 性分で話に割り込んでくることを司令官は予想して話を誘導し、龍驤をまんまと試食役に陥れたのだ。

「材料の人参と大根は目出度い色である紅白のシンボルですし、魚の頭も目出度いものです。炒った大豆はこの前やったように災いを追い祓うためのものです。材料一つ一つにも意味が込められているように、このカレーは一年の作物の豊穣を願って穀物の神様に捧げられる、いわば神様も召し上がる大切な食べ物です。いわば日本の精神が凝縮されたジャパニーズカレーなのですよ。しかもこういうおまじないの要素に龍驤は精通していますし、料理自体も知っているとなれば鬼に金棒。まさに適役。いやー、丁度良かったですねぇ、金剛。」
 持てる知識をマシンガントークで放ち、決して口を挟む隙を与えない。
 大半は尤もらしいことを言っているが、最も大切な部分。そう、その料理はカレーではないという最大の嘘が混ざっている。
 その嘘に気付けるものは、今この場所には龍驤しかいなかった。が。
「龍驤、ヨロシクお願いしマース!ワタシにJapanese curryを教えてくだサイ!」
「い、いや……うちは……その……。」
 金剛の真摯な眼差しが龍驤を射止め、司令官への反論は許されなかった。
 金剛は今の話を大真面目に聞いたのだろう。龍驤に全てを委ねるつもりでいる。
 ここで断ろうものなら、後で41cm連装砲によって蜂の巣にされかねない。
                  、、、
「後はお願いしますよ、龍驤。美味しいカレーにしてあげてくださいね?」
「……はい。」
 そして、龍驤は負けを認めた。司令官に出会ってから、史上最悪の敗北に屈した。
 咄嗟に攻撃を受け流してその場をやり過ごした司令官の戦術的勝利、龍驤はその流れ弾による戦術的敗北であった。


 こうして、龍驤は金剛に彼の名状しがたきカレーを教えることになったのである。
 なお、その話を聞いた比叡がレシピをアレンジすることで、伝説的に有名で冒涜的な「比叡カレー」が誕生したのは、また別の話である。