月

諏訪紀行(2回目/二日目)

― 第二日目(2/29)・午後の部 ―

燃料補給を終えた所で、再び移動開始。
数十分もせずに次なる目的地へ到着。

坂の上から境内に向かって階段が下るように続いていたのでてっきり裏側に来てしまったのかと思いましたが、
入り口となる鳥居はここにしかありません。
どうやら、ここが正面で正しいようです。

階段を降りて境内へ。
正面には社殿がありますが、隣には樹齢幾ばくかも判らぬほど大きな巨木が。
但し、途中から腐敗しているらしく現存させる為に上に保護用の屋根が被せてあります。

その姿も中々印象的でした。
そんなこの神社は何神社かといいますと…

 
葛井(くずい)神社です。
名前からお判りの通り頂けるでしょう。

神秘「葛井の清水」


神奈子様の難易度ハードでのスペルカードの元ネタであります。

なお、水というからにはこの神社には池があります。
その池こそ古くから葛井大明神なる神の住まう依代とされていた聖池です。
今は上社と深い繋がりがある神社ですが、
その昔はおそらく、池を御神体とした素朴な自然の神様だったと考えられます。


社殿の裏手…寧ろ大通りに面しているのがこちらなのでこちらが表側?
とりあえず社殿の裏なので裏側としてきましょう。
社殿の裏に回りこんだ場所…これこそが、葛井の池です。

 
写真奥の社殿の裏手で、大晦日の夜に"御手幣送り"という神事が行われます。
この神事では、上社で一年間の内に神事に使用された幣などを合図と共に池に放り込みます。
すると、池の奥深くへと幣などが沈んでゆき浮かび上がりません。

そして明朝、元旦には遠く離れた遠州にあるというさなぎの池に、
昨晩葛井の池に放り込まれた幣などが浮かび上がっているという伝承が伝わっています。

即ち、葛井の池とさなぎの池とが地下で繋がっているというものです。

この不思議な現象は諏訪の七不思議として膾炙しています。
なお、諏訪の七不思議は上社、下社の各々に別のものが存在し、
(御神渡りなど、上社下社で共通なものもありますが)
また上社においては御作田か筒粥が穂屋野の三光と入れ替えられたりと、
多少バリエーションに変化があります。

その中で比較的一般的な上社の七不思議の例を挙げますと、以下のようになります。
御神渡り、筒粥、御作田、蛙狩、耳割鹿、葛井の清池、宝殿の漏滴(お天水)。

御作田と耳割鹿以外はスペルカードの元ネタとなっており、非常に判りやすいといえますね。

…さて、ここで地図を確認すると、上社までは目と鼻の先。
時間を見ると…12時45分。
…あれ?今日中に予定の場所を殆ど回れるのでは(汗

元々は一日目で諏訪対戦縁の地、二日目に下社から上諏訪周辺、三日目で上社周り、茅野。四日目に御射山のつもりだったのですが。
ここまで来て引き返すという手は無いでしょう。
明日以降の予定ががら空きになってしまう危険性がありますが、
ここで引き返してしまったら時間は勿体無いですし、
明日またレンタサイクルを借りるとなれば移動費もかさみます。
結論。
このまま計画を続行します。


自転車をこぎ一路南西の方角へ。
と、途中で思いがけないものを発見したので思わず足を止めます。


…滑り台もオンバシラ!
…あなたは見た感じ御柱に見える。
見た感じでものを言うな。
素材こそ違うものの、そのシルエットは御柱をモチーフにしたとしか考えられません。
神社で無くとも御柱があるのは駅の足湯や庚申塔などで既に明白ですが…
よもや遊具にまで浸透しているとは(汗
流石諏訪。もはやそうとしか言いようがありません…。

そういえば、下諏訪駅の入り口にも立派な御柱が建っています。
こちらは正真正銘の御柱で、実は長野オリンピックが開催された時、
会場を聖なる空間とするべく御柱建てが行われました。
下諏訪駅の御柱は、この時建てられたものだそうです。
つまり、ちゃんとした由来があるわけですね。


そこからさらに自転車で進んでゆき、漸く次の目的地に到着。時刻は13時。


ここが諏訪大社・上社前宮です。
…って、階段の殆どが雪に埋もれているではありませんか。
現在建御名方神はこちらに鎮座されておられるというのに…

前宮は何かと大祝が出入りした場所。
一帯が神原(ごうばら)と呼ばれる聖域で、境内は圧倒的に広いのです。
…それ故か建造物は数が少なく、また互いに離れている為なのでしょうか。
他の諏訪大社と比べて見る物が少ないという印象を与えがちのようです。
宿のご主人は「前宮には何も無い」とまで言っていました…。

また、交通の便もあまりよろしくないのも原因かもしれません。
なので、日中にも拘らず人は私以外に見当たりません。
多分、それがこの状況(=雪が積もったままの状態)の原因なのでしょうね…。

しかし、見方によってはここもかなり魅力的な場所です。
四方に立てられた御柱の全てを間近まで近付いて見られるのもこの前宮だけです。
(春宮・秋宮は第三、第四の御柱が拝幣殿の奥にあり、聖域として柵が途中で設けられている為接近不可能
本宮に至ってはもはや山中にあるのでこちらも接近が困難)。


階段を上って本殿へ向かう前に、脇の建造物を拝見。
こちらは十間廊(じっけんろう)と呼ばれる建物です。


諏訪大社上社の神事の中でも、一際狩猟との関係を色濃く残し、
かつ他の神社と比べても異彩を放つ"御頭祭"は、この十間廊にて行われます。
旧暦三月の酉(とり)の日に行われた神事の為、別名を"酉の祭"とも言います。
上の案内板では酉の祭の名前で記載されていますね。

また、案内板にもあるようにこの神事の際には事前に獲らえられた、75もの鹿の頭が贄として並べられるという
かなり血腥(ちなまぐさ)い神事であるといえます。
この75の鹿の頭の中には必ず片方の耳が裂けた鹿が混じっており、
その鹿こそ諏訪大明神によって獲られた鹿であるとして特別視されていたという風があります。
また、その耳が裂けた鹿は"耳割鹿"として諏訪の七不思議の一つに数えられるほど有名な伝承です。

このように、異彩を放つ神事が行われた独特な場所でもあるので、決して何も無いという事は無いと思います。
少なくとも、私にとっては十二分に面白い場所です。

十間廊を後にして、階段を上ります。
その先は住宅も立ち並ぶ道路。
…この辺りも、昔は建御名方神が狩を行う神聖なる霊域として、原野だったはずなのですが…。
その神聖さは何処へやら。
やはり信仰は失われつつあるのでしょうか。

そんな光景に寂しさを感じつつ、途中の石宮にも参拝。
小さな石宮でも御柱はしかと建っています。
この景色は何時までも続いて欲しいと思います。

道路を登りつつ、隣の水路を流れるせせらぎに耳を傾けます。
これが、かの著名なあの水流なのでしょうか?
期待を抱きつつ更に上へ。


漸く本殿に到着。…何故か"本殿"だそうです。
陽光が差して神々しいお姿を見せ付けておられます。
春宮や前宮の拝幣殿のような装飾、派手さはありませんが簡素ながら歴史を感じさせる。
これもこれで立派な魅力だと思うのですが、如何でしょうか?

参拝して、左脇に目をやると…。ありました。

 
これこそ風神録プレイ者必見のスポットでしょう。


水眼(すいが)の清流。
即ち…

神符「水眼の如き美しき源泉」


の元ネタであります。
本来であれば"源泉"と冠しているので案内板の通り1km先にあるという源泉まで行きたかったのですが、
レンタサイクルのリミットもありますし、何よりここから1kmも山中へ入ったら本気で遭難してしまいそうなので断念。
つまり雪が無かったら、レンタサイクルの時間もっと余裕があったら行っていたという事です。


水眼の清流と御柱を一緒に撮影。
しかし、こんな時季でも川は凍らないのですね。
今回はその点についても確認しておきたかったので、これはかなりの収穫といえます。

水眼のせせらぎを聞きつつ暫く感嘆。
やはり、前宮にも魅力はあります。

一息ついて四方の御柱を全て間近まで行って観察。…やはり大きい。
とここで一つ気になったことが。

御柱は社殿から少し離れた場所に建っています。
また、ここは一帯が原野なのは前述の通り。
つまり、御柱が建っている場所までは、
短いながらもひざ下まで埋まってしまうような積雪の中を
進まなくてはならないという事です。
…昨日の御射山神社の時のように。

こちらの御柱に向かう道筋にも、しっかりと先人の足跡が残されていたのです。
…それも四方全てに向かって(笑

靴底の様子などは残っていなかったので御射山神社の足跡と同一人物かは判りません。
普通に考えたら別人だと思います。
またしても、先人の足跡を辿る事で、今回は全くの無被害で御柱を拝めました。
…先人に感謝。

それにしても、雪深い場所では私が見たいスポットに向かって、まるでその場所に導くかのように足跡が付いている…。
この足跡は一体…
…同業者でしょうか?
少なくとも、御射山神社の方は観光客が行く状況とは思えませんし。


とここで本殿にかかっている神紋を。
諏訪大社の神紋は梶(かじ)の木で、葉は三枚です。
根の方は、上社が四本、下社は五本あります。
つまり、神紋でも区別は可能なのです。
前宮は上社なので、ご覧のように根は四本です。


では、前宮を後にしましょう。
次に向かうのは、諏訪大社・上社本宮です。
一路自転車を西に走らせます。

…とその途中で。


神長官守矢史料館へ立ち寄ります。

神長官とは、上社の神事を取り仕切っていた職で、代々守矢の一族が世襲して来ました。
現在の当主は78代目、守矢 早苗氏。
聞き覚えのある名前…。おそらく、東風谷 早苗の名前の元となったお方と見て間違いないでしょう。
ちなみに、守矢の家系は遡ると洩矢神の通じます。
東風谷 早苗が洩矢 諏訪子の遠い子孫であるという設定もまさにこの通り。

まずはその独特の形状をしている建造物…史料館の方へと向かいます。
(今回は写真を撮らなかったのですが、Souvenirに一回目にて訪れた際の写真があります。
こんな感じの建物です↓)


内部の拝観料は大人一人100円。
安いです。
中も決して広くはありませんが、見るべきものはたくさんあります。
…しかし、この時顔を見せた方は前回の人とは違いました。
できればもう一度会ってみたかったのですが…

さて、中の様子は…先述した御頭祭の様子を再現した剥製の数々。
(猪・鹿の頭がずらり。ウサギの串刺しも。また、耳割鹿の剥製もちゃんとあります。)

壁に展示されている説明文には、洩矢神と守矢 早苗氏の文字が。
風神録の元ネタという範疇を超えて、魅力満載です。

そして、その少し奥に行くと天井も低くなり小さな部屋が。
こちらの内部は一切の撮影が禁止されています。
展示されているのは、遥か太古の石器や鏃(やじり)など。
主に遺跡で発掘されたものが中心です。
これらは考古学的にも貴重な資料ですから、むやみやたらに触れられないようガラス越しの閲覧になります。
そんな中あったのは…さなぎの鈴?!
前回訪れた際はまだ『宮司直一論集』や『藤森栄一全集』を手に取る前だったので
この存在を知らず、どうもただの錆びた物品と見過ごしていたようです。うーん、我ながら失態。

さなぎの鈴とは、湛神事の際などにミシャグジ神を降ろす時振り鳴らすものです。
つまり、守矢家に代々伝わる重要な神具の一つなのです。
文献上で重要なものだと知り、知識として蓄えていましたが…まさかそれがこのような感動を生むとは。
ここでその姿を拝めた事に深い感銘を受けました。

そして、更なる衝撃が。
史料館には訪れた事を書き記す記帳が置いてあり、またその他数々の資料を展示する為に小さな机が配置されています。
以前訪れた際に記帳していたので、自分の名前を見て懐かしんでみたりしたのですが…
その隣に、ラミネートされた紙が。
見れば、それは机の上においてある書物の値段の一覧…って、売っていたのですか?!
前回は書物の間に挟んであったか、風林火山関係の資料の下に埋もれていたのか…
どうも私はこれを見逃していたようです。
知っていればあの時買っていたのに。

しかし、こうして今再びそのチャンスが巡ってきたのです。
…今買わなくてどうする!

この下の文章を書く際に参考にさせて頂きました『神長官守矢史料館のしおり』の他、
一冊数千円の書物(ある意味専門書)を購入。

…職員は目を丸くしておられました。
「勉強に使うのですか?」とまで尋ねられる始末(笑
勉強…勉強、ですか。確かに勉強ですね。
学校とは一切関係ないですが(爆

それはまあ、よっぽどの物好きで無い限り買わないでしょうね、こういった書物は。
細かいお金が無かったのでお札で支払いをし、お釣りを待ちます。
すると、職員の部屋から話し声が。お一人ではなかったようです。

そして奥から二人現れました。
お一人は先の方です。もうお一方は…
館長さんではありませんか。
お会いできて良かったと思い、感極まって思わず「お久しぶりです」と声をかけてしまいました(えー
…向こうはそう覚えてはいらっしゃらないでしょうに。

と思ったら。
何時来たのかを尋ねられ、答えるとピンと来たようで。
…覚えていらっしゃいました。

…よほど印象に残ったのでしょうねー…。もはや個人的な黒歴史。

今回も今回で、一般の拝観者では手に取らないような書物を買ってしまいましたし…(汗


今回も幾つか質問をし、丁寧に答えて頂きました。
これはかなり有益な収穫です。

というわけで、今回も改めてお礼を申し上げさせて頂きます。
本当に感謝です。


さて、前回の拝観の際に参拝OKの確認は取ってあるので、
史料館から少し上にある神社…守矢氏が代々祀ってきたミシャグジ神の社に参拝を。


…随分雪も深く積もってますね。Souvenirにある写真と比べてみると一目瞭然です。
こちらもお久しぶり、ですね。


ちなみに、ここでは"みさく神"という名前で祀られています。
背後にある梶の木は全国的にも珍しいのだとか。


では、今度は史料館の隣…守矢氏の家の敷地に。


こちらは、祈祷殿という建造物です。
案内板は下の通り。


文章の一番下が切れてしまっていますが、その伝える内容の大体はお判り頂けるかと思います。

守矢の一族は建御名方神が諏訪に入る前からいた土着の神(洩矢神)から連なる一族である事。
建御名方神の後裔として崇められる存在であった大祝を補佐する位置にいた事。
神長官に伝わる秘術は門外不出で、口伝によってのみ伝えられた一子相伝の秘術であった事…。

…神長官の伝える秘術は一子相伝、しかも遥か太古から伝わるものであり、
明治の動乱によってその秘術は76代を以って途絶え、
その一部をかろうじて受け継いだ77代もその秘術を伝える事無く…
そう、神長官が悠久の彼方より執り行っていた秘術の一切、その詳細は永久に失われてしまったといいます。
(『神長官守矢史料館のしおり』より)

今の件からピンと来ますね。

秘術「グレイソーマタージ」
秘術「忘却の祭儀」
秘術「一子相伝の弾幕」


グレイソーマタージとは恐らく、 Gray Thaumaturgy(古の魔術)の意味であると考えられます。
弾幕であるかどうかはさておいて、東風谷 早苗がStage5の道中で使うスペルカードの元ネタはここから見出せます。
…何故五芒星なのでしょうね?

ちなみに、上の大祝は人でありながら神として崇められる存在…いわば生神でした。
これを風神録の劇中では現人神(あらひとがみ)として称していますね。

現人神という単語は少々ややこしく、
当初は、本来姿を見せず何かに憑依託宣する事で意思を示していた神の内、
人と同じ姿を以ってこの世に現れる神の事をそう言いました。
それが後人でありながら神になった存在…菅原道真公などを指す場合が現れ、
御霊信仰との関係から荒人神などとも綴られるようになりました。
そして、変遷してゆくにつれ神の末裔である天皇の事をそう呼ぶに至った、という感じのようです。
最も、風神録の設定の上ではここまで深く突っ込まずに
上のように"人でありながら神として祀られる存在"を指す言葉として用いられていますが。


個人的には大満足となったところで、次なる目的地へ。今度は本宮です。
自転車を西にこいでゆくと、途中に大きな鳥居が。
どうも、昔はこの道が参拝路だったらしいです。成程。


神長官守矢史料館を発ち僅か十分弱。14時33分。
本宮に到着です。

手水屋で身を清めた後、まずは一枚。


本宮の大鳥居の直前にある川。
ご覧の通り現在は凍っているこの川…。
元旦、ここであの神事が行われたわけですね。
蛙狩神事が。

蛙狩「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」


の元ネタ縁の場所です。
わりと橋のすぐ近くの氷が割られていたのは…やはり蛙狩神事を行った跡なのでしょうか?
もしそうであればこれは中々感動モノです。

さて、撮るべきものを撮りつつ参拝へ向かいましょう。
今回は布橋の脇に見てみたいスポットが集中しているので、本来の東鳥居からではなく
回り込んで北鳥居から境内に入ります。

境内に入り、目の前左側に飛び込んでくるのは本宮一之御柱。
やはり本家のものは大きいです。

そして、その脇には御沓石があるはずなのですが…雪に埋もれていたせいか、見逃してしまいました。
(実を言うと、先の本宮に向かう途中に蛙石があったという。
それどころか、前宮の付近には峯湛があったという驚愕の真実…全ては帰ってきてから調べて初めて判明。
まさに後の祭り、後悔先に立たず。
さて、それは置いといて…


こちらは上社筒粥殿"跡"。
上社でも昔は筒粥神事が行われていたのですが…


現在は行われておらず、
天正期の戦乱の際に失われたといいます。
また、粥を炊く時の火は、蛇を燃やしたとも伝えられているようです。
(失われた時期については『年内神事次第旧記』 武井 正弘編 茅野市教育委員会 H.13発行/
蛇を焼くという記述は『宮司直一論集 諏訪神社の研究(下)』、他に拠る)

さて、ここでお判り頂けるでしょう。

忘穀「アンリメンバードクロップ」


Unremembered Crop(忘れられた穀物)とは、
この上社の失われた筒粥を指していると考えられます。

さて、その隣には…。


天流水舎という建造物です。


天流「お天水の奇跡」


の元ネタですね。
正確には、この背後…布橋を挟んでさらに奥にある宝殿が七不思議で語られる対象なのですが、
それを説明する案内板や天流水舎は手前側にあるのです。
確かにこの方が目立ちます。

ところで…"どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちる"と記されていますが…。
とても三滴なんてレベルではないですよ神奈子様ー


さて、東参道と合流しまして駒形社・出早社と参拝。
続いて…

 
布橋と呼ばれる長い廊下を渡ります。
大祝がここを通る際、下に布を敷いた為にその名前が付いたとか。


こちらは布橋の上部に施された彫刻。ここに限らず、諏訪大社(下社含む)には龍が刻まれているものが多く、
龍蛇信仰が盛んであった事を今に伝えているといえそうです。

ところで、実は布橋の一連の写真を撮る為に観光客や参拝客が途切れるのを待っていました。
その為に、布橋を私が渡る際には他に渡っている人はおらず。
…自分の呼吸の音と橋の上を歩く際に発せられる靴音…そして、雪解け水が滴る音以外、何も聞こえません。


…段々緊張してきました。
一之御柱付近では観光客が集合写真を撮ろうとしていたので、前回と違って随分和やかな雰囲気だと思っていたのですが…。
思い出しました。この布橋が段々盛り上げてくれるのです。

その途中、大国主社や多数の社、宝殿にも参拝。
これらの社の少し手前に…


これがあるのです。


奇祭「目処梃子乱舞」


劇中では、御柱を模した赤いレーザーが地面下端に到達した際に現れ、
斜めに群れて飛ぶ赤い丸弾がこの目処梃子を模しているのでしょう。
上手い演出です。

門をくぐり、漸く拝殿前に辿り着きます。
そして、拝殿に向かい参拝。


現在建御名方神は前宮に鎮座しておられるのですが、それでも本宮は威圧を放っております。
やはり山の麓、覆い茂る樹叢の許にあるというのが要因として大きいのでしょう。


神紋である梶の木も撮影。…案内板では"穀"の字になっていますね。
但し、梶の木は落葉樹の為現在は葉が付いていません。
マウンテン・オブ・フェイスの弾幕形状はこの梶の葉を模していると専ら評されているので、
是非とも確認したいところではあったのですが。


さて、参拝を終えて授与所へ。
目的は翡翠おみくじ。

午前の部でもお話しましたが、建御名方神の母神は沼河比売神と伝えられています。
沼河比売神は糸魚川、姫川…ひいては翡翠と関係が深い事は前述の通り。
それ故、諏訪大社ではおみくじに翡翠が付いている"翡翠おみくじ"なるものを引く事ができるのです。
これもまた厭い川のヒスイに繋がるネタではありますね。

おみくじの結果は帰ってからのお楽しみとして、ここでふと気付く。
…硯石は何処?
神の降臨する磐座(いわくら)として知られる著名な岩なのですが、今まで見えませんでした。
もう一度本宮の境内を隈なく探します。
すると…。
四脚門の案内板に拠ると、その脇から見えるとの事。
目を凝らしてみると…


…あの石垣に囲まれた凸部がそうらしいです。
しかし、時季が悪かったですね。その全貌は悲しくも雪の中。
残念です。


この後高島社の参拝・御朱印を頂く等所用を済ませ、帰路に就く事に。
滅多に来る事はできませんから、悔いが残らないようにしませんと。
(思い切り悔いを残しましたが。御沓石とか蛙石とか峯湛とか/汗)


帰る途中、本宮の御神体である守屋山は何処?と思い山を探しつつ帰ります。
本宮付近では近すぎてその姿が見られないように見受けられたので。
…結局判らず仕舞い。


さて、国道に入る直前で大きな鳥居に遭遇しました。
どうも、これは本宮への参道を示しているようです。
…確かに、今自転車で走ってきたのでここを真っ直ぐ行けば本宮に到着する事は実証済みですが、
少々距離がありませんか(汗
結構離れている場所にありました。
おそらく、国道を進んでいる車に対してのサインなのでしょう。

国道を進み、今度は近道をするように細い路地へ入ります。
上諏訪駅はもうすぐそこです。


そこで、こんな石碑を発見。
神社でなくとも御柱は忘れない。

…ところで、この石碑は一体何なのでしょうと思っていると、一つの結論に至りました。
いわゆる双体道祖神か!
…私の身の周りでは全く見かけた事が無かったので珍しいと思い、写真に収めてみました。


…さて、16:34を過ぎたところで自転車を返却。
少々早めですが、流石にずっと自転車で移動していたので疲労が蓄積してきましたので。
…しかし、当てずっぽうに利用時間を想定したのですが、割と合っていたので驚きです。

と、ここに至ってもまだ日は高い。
ならば、と思い再び行動開始。
駅の東口から自由通路を通って西側へ。
そこから徒歩でさらに西へ向かいます。


途中、"道祖神"と刻まれた石碑を発見。
やはり四方には御柱が建っています。流石s(略

…それにしても、何やら肩が痛くなってきました。
何か大層重い物など持ち運んでいましたっけ?
一応今日はトランクを始めとする移動に不必要なものは大方宿においてきたので
そんなに重いはずが無いのですが…やはり、大移動の疲労が溜まったのか。

あ。
…神長官守矢史料館で買った書物。
厚さは然程無いのですが、ハードカバーである事等からそれなりの重量です。
これがじわじわと効いてきたのか…(汗


さて、徒歩での移動で向かった先は、そう…。

 
       あゝ 風の神よ
          神湖の地に

             Stage6
             風神の湖

                    ♪BGM 御柱の墓場 ~ Grave of Being


…という訳で、諏訪湖であります。
氷結した上に雪が積もっていて、前回とはまるで別の姿を見せています。

やはり、こうした演出があると息抜きに良いですね。
諏訪に来たからには諏訪湖を見ておきませんと。

美しい夕日も見られた事ですし、大満足です。
このまま、風神録stage6を髣髴させるくらい暗くなるまでいても良かったのですが、
寒さに勝てず帰る事に。


17:29。
下りの電車で下諏訪へ向かいます。

そして、宿に到着。
お帰りなさいという温かく、堅すぎない適度な柔らかさを持った言葉が迎えてくれる。
大きな旅館やホテルでは中々味わえない光景ですね。
くつろぎたい時にくつろげる。
それが疲れを取るには一番だと私は思っています。宿に入ってまでガチガチでは精神的に参ってしまいますから。

部屋に戻り、リアル雑記に今日の記憶を記録。
今日行った所と予定を照らし合わせる地図にもチェック。
そして、いくら使ったかを把握する為帳簿も付けます。
…こういう細かいところを気にしてしまうのも性質です(汗
しかし、こうして所持金の把握をしておく事も大切ですから。

…と、ここで本宮で引いた翡翠おみくじを見る事に。
結果は中吉。
願いは遅れるがいずれ叶うという内容でした。
まずまず、といえそうです。

気になる点を数箇所ピックアップしてみますと…。

旅行:つつしんで吉利なし

…って、文字通りに読めば自粛するべし、良い事は無い。という意味ですよね…。
最も、こうして現在紀行を行っている時点で全くつつしんでいる気配が無いのですが(苦笑

ある程度当たるところは当たっているのかな、と思い納得。
とりあえず翡翠と一緒に撮影。


改めまして、 源符「厭い川のヒスイ」取得。

それと、有難く頂きました御朱印も撮影。


概ね満足な二日目となりました。

…そうこいうしている内に20:30。
流石にこのままでは不味いので晩御飯を調達。
食事を挟み、テレビを見ながら再び作業再開。
…そうこうしている内に時刻は23:30に。
わりと規則正しい生活を心掛けていたのに、早速瑕疵が…。

そして帳簿が合わない…。数円ですが、一円でも合わなければアウトです。
何故だろう…と思案するも時間が時間なのでやむなく就寝。

というわけで、これにて二日目終了。
今日やった事が多すぎて、事態収拾が終わっていません。
明日はまず事態収拾からしないと…。

とはいえ、今回の予定の殆どを巡ってしまったので後の二日はゆっくりまったりとできる事でしょう。
どの道今日の大移動の疲労で明日はあまり動けないでしょうから丁度良かったかもしれません。