月

鍵山 雛考察 ― 災厄を携えし神 ―

3節 廻り巡る災禍の胎動

 雛は、人々の災厄を引き受け、運び去る流し雛である。
 その一方で、人々に災厄をもたらす厄神でもある。
 そう、先の2つの節で述べてきた。
では、この一見相反する二つの側面は、如何にして結び付いたのであろうか?

 その答えは急いて出すこともないかもしれないが、
それは厄神の信仰形態が大きな鍵になるのではないかと思われる。
 厄神は人々に災厄をもたらすが、
その強力な力の下に他の災厄を従えてしまえば
厄神が全ての災厄を制御できると考えられた。
 故に厄神を丁重に祭り鎮めれば、
その集落を災厄から守護してくれると信じられていたという。

 例えば、"疫神送り"或いは"人形送り"と称される祭事では、
厄神を依代である神輿や人形に招き寄せ、
その上で饗応・歓待、つまりもてなすのである。
 そして、その後厄神は村境まで送られる。

 こうすることで、厄神は集落に災厄をもたらすどころか、
集落内の災厄を全て引き受け、そのまま村境の向こう側、
即ち異界にまで持ち去ってくれると考えられていた。
 この"疫神送り"の様子は、災厄を引き受ける規模が個人か集落全体か、
水の流れを介するか否かといった差異はあるものの、
流し雛の様子と多くの類似点を見ることができるのではないだろうか。
 流し雛では水の流れを介して海の彼方、異界へと送り出す一方で
疫神送りは村境に送られるが、
そのどちらも行き着く先が結局は異界であるといえる。
 と同時に、異界に厄を運び去るという役目自体は類似点の代表といえよう。
また、この類似点こそ、流し雛と厄神の接点であり、
いわば両者の中間に位置する境界であるのではないだろうか。
 つまり、これこそ雛が自身を厄神としつつ、流し雛と密接に関連し、
人々の厄を一身に引き受けるという
命を課している由来であると考えられる。
 そして、このことは雛が登場した場所にも関連すると思われる。

 「次はやっと妖怪の山に入るのね」
雛を倒した後、霊夢はこう言った。
 ミュージックルームの「神々の恋した幻想郷」のコメントでも、
 「妖怪の山に潜入して一曲目」
と記されている。
 一方で、ステージ1のテロップで表示される場所は
「妖怪の山の麓」である。
 これらのことから判ることは、雛がいた場所は山の麓より更に山に近く、
それでいて、まだ山の中には入っていない、
つまり山と麓、その微妙な境界線上であるということである。

 ここで、古人の山に対する認識を見てみると、
山は精霊や神霊、死者の魂が棲む
異界の一つであったと認識されていたことが窺える。
 つまり、ステージ2「妖怪の樹海」とは、
この世(山麓)と異界(山中)の境界であり、
同時に異界への入り口でもあったのではないか。
 この世の人々から厄を引き受け、
その厄を山(異界)に住む神々に渡す役目を
負った雛がこの場所にいることは、
その役目を果たす為に不可欠と考えられる。
 そうした意味では、妖怪の樹海はまさに「厄神様の通り道」だったのであろう。



 以上見てきたことから、この世と異界、厄をもたらすものと引き受けるもの。
 相反する側面を結びつける境界線の上に、
鍵山 雛という存在が成り立っているのではないかと考えられる。
 その衣装にリボンが多く、独特な髪の結び方は、
この相反する要素を結び付ける為ではないだろうか、とも思われる。
 そして、山が厄を運ぶ最終目的地の異界であるならば、
その姓もまた関連が見出せるのではないだろうか。

 「厄が人間の元に戻らないように監視している」(キャラ設定.txt)
とあるように、"山"に"鍵"をかける。
溜め込んだ厄が漏れ出さないように…
というような意味が、鍵山の姓にこめられているのではないだろうか。
 しかし、その一方で必要が生じれば厄を放出することもある。
 劇中で山に近付く霊夢や魔理沙を追い払おうと試みたときのように。

 ここで、もう一度雛のスペルカードに注目して頂きたい。
特に、スペルカードの順番である。

 厄符→疵符(疵痕)→悪霊(悲運)→創符

 先の節でも述べた通り、
厄符や悪霊(悲運)は厄神として厄を放出し、もたらしている。
 一方で疵符(疵痕)、創符はいずれも厄を引き受ける意味を持っていた。

――お気付きだろうか?
 今までの考察から見ると、スペルカードの順番が
厄を放出→厄を引き受ける→厄を放出→厄を引き受ける…
という、厄の循環の構図になっていることに。

 厄符「厄神様のバイオリズム」
Biorythmとは、生命体(人間)の生理状態・感情・知性などが
周期的なパターンに応じて変化するという考えである。
 ここでのバイオリズムとは、厄を放出し、厄を引き受けるという
循環を表しているのではないだろうか。
 厄をもたらすこと、厄を引き受けること。
その両方を行うことができるのは、雛自身がその両方の側面を持ち、
また両者の境界に存在しているからこそである。
 そして、この循環の構図は、劇中の至る要素から見出すことができると思われる。

 例えば、スペルカード行使中の背景。
1節では、流し雛とその行き着く先の
異界(海)を表しているとの見解を示した。
 しかし、ここでは改めて渦が異界への門となっている点に注目したい。
厄がこの世と異界とを循環する為には、
当然その出入り口となる地点が必要である。
この場合は、渦がその門戸であると考えられる。

 一方で、雛を見てみたい。
雛は先に述べた通り、
厄を放出することも、厄を引き受けることもできる存在である。
 いわば雛は厄のバルブであり、その出入り口になっているといえるのではないだろうか。
 即ち、渦は雛の本質を的確に表していると考えるのである。
 その観点から見るならば、スカートに縫い止められた
"厄"一文字が渦巻きのような崩し文字になっていることも
決して偶然では無さそうである。

 また、巴の文様を注意深く観察すると、
巴の文様自身も画面内で回転していることが判る。
 巴の文様、即ち円形の渦が回転していることは、
厄の循環を暗喩しているとも考えられる。


 そして、この回転や円という要素は、他の部分でも見受けられる。
 例えば、劇中で雛自身は常に"回転"しているし、
魔理沙が雛と遭遇した際に唱えていた
「産医師異国に向こう…御社に蟲さんざん…」
とは"円"周率の語呂合わせである。
 また、通常弾幕やスペルカードの弾の軌跡は
"円"を描くように放たれるものが多い。
 加えて、スペルカード、悪霊「ミスフォーチュンズホイール」には
Wheel(車輪)という語が含まれている。
 このように、雛には円、回転といった要素が多数見受けられる。
 これらも、雛が厄神であると同時に流し雛であり、
厄をもたらし、引き受けるという
厄の循環を表しているのではないだろうか。


――鍵山 雛。
彼女は人々に厄をもたらす厄神であり、
またその身に引き受ける流し雛でもある。
その一見相反する存在の合間で、彼女は人間の味方であり続ける。
 その務めは重く、人にとって恐ろしく、
同時に有り難いものでもあるが故に、
彼女は厄神"様"と敬称を添えられる。
 その力を、決して侮ってはならない。
 ならば、我々は彼女を畏怖しつつ、同時に敬わなければならないだろう。

― 出典 ―

  • 『東方風神録 ~ Mountain of Faith.』 上海アリス幻樂団 2007
    (劇中の会話・テロップ、キャラ設定.txt)

― 参考文献 ―

  • 『民俗の事典』 大間知篤三ら編集 岩崎美術社 1972
  • 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 1999
  • 『日本民俗大辞典 下』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 2000
  • 『精選 日本民俗辞典』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 2006
  • 『日本民俗宗教事典』 佐々木 宏幹ら監修 三秀社 1998
  • 『日本を知る事典』 大島 建彦・大森 志郎ら編集 株式会社社会思想社 S.46
  • 『日本神祇由来事典』 川口 謙二編集 柏書房株式会社 1993
  • 『Truth In Fantasy54 神秘の道具 日本編』
         戸部 民夫著 株式会社新紀元社 2001
  • 『雛まつり 親から子に伝える思い』 福田 東久著 株式会社近代映画社 H.19
  • 『図説日本呪術全書』 豊島 泰国著 株式会社原書房 1998
  • 『図説 | 日本の妖怪』 岩井 宏貴監修/近藤 雅樹編 河出書房新社 1990
  • 『日本妖怪博物館』 株式会社新紀元社 Truth In Fantasy編集部・弦巻 由美子編
       戸部 民夫・草野 巧著 株式会社新紀元社 1994
  • 『妖怪事典』 村上 健司編著 毎日新聞社 2000
  • 『文様の事典』 岡登 貞治著 東京堂出版 S.43
  • 『日本文様図鑑』 岡登 貞治著 東京堂出版 S.44
  • 『日本文様事典』 上條 耿之介著 雄山閣出版株式会社 S.56
  • 『ジーニアス英和辞典 第三版』 小西 友七・南出 康世編集主幹 株式会社大修館 2001