月

雑考(小説版儚月抄

キャラ☆メル vol4立ち読みした上で、木花咲耶姫命(富士山)と石長姫命(八ヶ岳)の話が気になったので少し調べてみました。
今朝図書館に行って仕入れた知識が基本、つまりは付焼刃ですので、
その点を御了承して頂けると幸いです。まあ、参考までに。




木花咲耶姫命と石長姫命は元々富士山に住んでいました。
ある時、木花咲耶姫命が石長姫命に富士山と八ヶ岳、どちらの山が高いか比べてみよう、と持ちかけます。
そこで取り出したのが樋(とい)。
富士山と八ヶ岳の頂上に樋を橋渡しして、そこに水を流し込む。
すると、その傾きによって水は低い方へと流れてゆくので両者の高低差は歴然となるわけです。

その結果、水は富士山の方へと流れてゆきました。
つまり、八ヶ岳の方が高かったのです。
このことに怒った木花咲耶姫命は八ヶ岳を砕き、富士山より低くしてしまいます。
妹(=木花咲耶姫命)の性格に嫌気が差した石長姫命は八ヶ岳に移り住む事に。
石長姫命は永遠・不死を司る神で、不死は富士に掛かり、また不尽(尽きる事が無い)でもあったようで、
石長姫命を失った富士山は火山活動を停止してしまいました。


…というのが、今回の小説版儚月抄での木花咲耶姫命と石長姫命の喧嘩のお話でした。

しかし、この話について『古事記』や『日本書紀』には全く触れられていません。
この話は、一体どこから来たのでしょうか?

…それが、今回の雑考のスタートラインです。

調査を進めると、こういったどちらの山が高いかを比べる話は富士山と八ヶ岳だけに関わらず、
全国各地に広く伝えられており、山についても伯耆の大山と韓山、九州の阿蘇山と猫山、
越中の立山と白山など、多くの山が近隣の山と高さを競い合ったという伝説や昔話が伝えられているようです。
比べる方法についても、上述の樋による判定のほか、喧嘩になって互いの山の石を投げ合ったという話など
幾つかのバリエーションが見え、結果についてはおおよそ負けた方の山(或いは負けそうになった山)が
もう片方の山を何らかの方法で破壊し、自分よりも小さくしたという話が多いようです。

また、比べるのは高さだけではありません。
幾つかの話によってはその見た目の美しさが競われたりした話もあります。

しかし、こういった話の中でも、やはり注目の山だった所為か富士山が比べられる山の片方に選ばれることが多かったようです。
駿河の足高山はその昔、富士山と比べようとして異国より渡ってきた山であり、
渡ってきた際に足柄山の明神に生意気だといわれ蹴り崩しされた、という話に始まり
白山、筑波山など多くの相手と競ったようです。
無論、儚月抄中に取り上げられている八ヶ岳もこの説話の一種と考えられます。

つまり、その土地の人々或いは旅の人間が語り伝えた伝承に端を発しているのです。
それであれば、『古事記』・『日本書紀』に全くこの話の姿形が見えなくても不思議ではありません。

そして、こういった話は"山の背くらべ"といった名称でその類の説話が括られ、
柳田国男氏によってデータベース的に著されています。
この論については、現在でも『定本 柳田国男全集第二十六巻』「日本の伝説」(筑摩書房 S.39初版第一刷発行)
の中に収録されており、我々も知る事ができます。

ところが、肝心の八ヶ岳と富士山という背比べは、この論の中には記されていません。
理由については定かではありませんが、我々が目指しているのは上述の説話。
これにより一旦調査が振り出しに戻ります。
但し、上の調査を経て富士山と八ヶ岳のみならず、全国的に類話が分布していると判明し、
富士山と八ヶ岳にのみまつわる特別な事例で無いことは判りました。

ここで他の書を当たってみると、『神話伝説辞典』(朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.47)の
「山の背比べ」の項を見てみると、詳細こそ欠いていますが富士山と八ヶ岳が高さを競ったという事例が紹介されており、
儚月抄での話同様に樋を用い、負けた富士山が八ヶ岳の頭を樋で殴り、蹴上げた為に八ヶ岳が低くなったと記されています。

更に、グーグルで「石長姫 八ヶ岳」などと検索をかけると同様の話を見る事ができます。
しかし、これらはいずれも典拠が無く、おそらくは近隣の人によって語られてきた口碑なのだろうと推測できます。

ところで、ここで一つ疑問が生じます。
何故、八ヶ岳に石長姫命が移り住んだのでしょうか。そもそも、何故八ヶ岳と富士山が背比べを行うことになったのでしょうか?

これについては、憶測ですが幾つか仮説を述べて見たいと思います。
…まず一つに八ヶ岳が近隣の人々から目立つように高峰である事。
高さを競う上で、まず他の山に比べて高さが際立っていないと説話の主人公として抜擢されないでしょう。
"背比べ"という話の上では周囲の山よりも高い、という事は不可欠な前提条件だと思います。

二つ目に、八ヶ岳の外見が挙げられます。
八ヶ岳、の名のように山の上の部分が幾つかに分かれて見えることによって人々から奇異の目を引くことが考えられます。
これについては、他の説話の中において八ヶ岳が黄泉の世界と関連がある、というような話が聞かれる事からも
その奇特な外見が何か恐ろしいものに感じられたのではないでしょうか。

また、そこには日本人の山に対する美しさの観念も働いていたのかもしれません。
古来より、神様が宿る、神社の御神体とされる山は火山におけるコニーデ、
つまり富士山のような形が好まれる傾向があったようです。
そこから考えると、富士山のような山が美しい、とされてきた人々の感覚が窺えます。
そして、富士山に宿る神は長らく木花咲耶姫命とされてきました。

『古事記』・『日本書紀』で語られるように木花咲耶姫命は美人でありました。
これに対比する形で、形が奇特な八ヶ岳に石長姫命が宛がわれたのかもしれません。
(この点については確定的な証拠は無し。八ヶ岳に石長姫命が当てられる理由が曖昧な為
時代的に"富士山→木花咲耶姫命"が先で、その後に"八ヶ岳→石長姫命"と当てられたのではないかという筆者の推測です。)


話は変わりますが、この話の原典では富士山と八ヶ岳がどちらが高いともめているところに
阿弥陀如来(木曽山の明神とする場合も)が樋を用いて判定しては?と持ちかけており、
阿弥陀如来という場合を取ると仏教の影響が色濃く示唆されているといえるのではないでしょうか?


なお、木花咲耶姫命が水の神、石長姫命が火の神とする記述は今日の調査では見受けられませんでした。

また、浅間について、"アサマ"はアイヌ語で「火を噴く山」を意味する、という記述が
『日本民俗大辞典 上』「浅間信仰(せんげんしんこう)」の項(福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 1999)
にありました。
アサマ=火山という作中での発言はこれを踏まえた上でのものでしょう。



…以上が本日の調査を経て判った限りの雑考です。
この一朝一夕の調査が皆様の参考になりましたら、私にとっても幸いであります。

というわけで、雑考はここまで。

― 出典 ―

  • 『キャラ☆メル vol.4』「東方儚月抄 ~Cage in Lunatic Runagate.」 ZUN著 一迅社発行 2008

― 参考文献 ―

  • 『定本 柳田国男全集第二十六巻』「日本の伝説」 柳田 国男著 筑摩書房 S.39
  • 『神話伝説辞典』 朝倉 治彦・井之口 章次ら編集 株式会社東京堂出版 S.47
  • 『日本民俗大辞典 上』 福田 アジオら編集 株式会社吉川弘文館 1999
  • 『日本伝奇伝説大事典』 乾 真己ら編集 角川書店 S.61