月

秋姉妹考察 ― 秋を司る神々 ―

木々が山を赤や黄に彩り、田の稲が頭を垂れる。
 色鮮やかな情景と豊かな稔りとの合間を、秋風が吹き抜けてゆく。
心地良い涼風に身を委ね、情景に人々は心躍らせる。
 しかし、同時に人間はその景観が長く続かないことを知っている。
 紅葉は散り、稲穂は刈り取られる。
秋風はやがて冷たさを増し、次の季節の到来を告げる。
 このように、優雅さと寂しさが共存する季節が秋である。

 『東方風神録 ~Mountain of Faith.』を立ち上げると
最初に画面に現れるのは、こうした秋の情景である。
 舞い散る紅葉、穂を傾ける稲やススキ、その間に花を咲かせる菊。
プレイヤーセレクト時の霊夢と魔理沙の各々の背後には、
秋の風物である月も顔を覗かせる。

 溢れんばかりに鮮やかな情景を映し出す季節、秋。
その"秋"という語は、"飽き"に通ずるといわれている。
 食物の供給が満ち足りて、飽和の状態にあること。
同時に、満ち足りた状態は"飽きる"ことをもたらす。
 故に、物事は一定ではなく移ろいゆく。
 満ち足りた状態と、その移ろいやすさ
という二つの側面を表しているのが、この"秋"という語である。

 日本国にまします八百万の神々のうち、
この二つの顔を持つ季節を司る存在が、彼女達姉妹である。
 寂しさと終焉の象徴、秋 静葉。
 豊かさと稔りの象徴、秋 穣子。
劇中では冒頭に登場する為、彼女達は決して多くを語らない。
 しかしながら、その端緒から垣間見える
彼女達の姿にスポットを当てて見たいと思う。

1節 舞い踊る秋の神

 先に述べた通り、秋は情景豊かである。
この風光明媚な紅葉を司る神が秋 静葉である。
 紅葉の闌けりは艶やかで美しい。
その一方で、枯れ葉が舞い散った後の
木々の姿は冬の訪れを告げ、人々に寂寥感をもたらす。
 "静葉"の名や、その二つ名が
このような紅葉の景観を表していると考えるのは容易い。
 "静"かという語の様子は、
劇中の静葉の出現の登場に伴って曲調が一転することにも表れている。
 そして、画面に颯爽と現れる静葉の容姿は、
自身の"紅葉を司る程度の能力"を象徴しているといえるだろう。
紅葉をあしらった髪飾り、
スカートの裾の形は紅葉の葉の形に合わせて波打ち、
服装全体は紅葉をイメージした赤や黄といった色調に整えられている。

 また、彼女が放つ弾幕も例外ではない。
 例えば、難易度Normalで五方向に放たれる
赤い弾幕は紅葉の葉を模しているように見えるし、
難易度Hard以上では紅葉に関するスペルカード、
葉符「狂いの落葉」を行使する。
 葉符「狂いの落葉」での弾は、それ一つ一つが舞い落ちる葉を表している。
 なお、弾の一つ一つが葉を模しているのは、
早く『東方紅魔郷 ~the Embodiment of Scarlet Devil.』の
ステージ4ボス、パチュリー・ノーレッジの木符系統に見ることができる。
 葉符「狂いの落葉」もこれに類し、
何十何百という落ち葉が自機に降り注ぐ。

 しかし、幾ら紅葉の秋とはいえ、
これだけの数の葉が一斉に落ちることは稀有であろう。
その様子は通常ではないことを表すには、"狂い"の語は相応しい。
 では、そこに込められた意味とは一体、
如何なるものであったのだろうか。
 それを読み解く為、植物に関連して
"狂い"と名付けられた現象について見てみたいと思う。

 "狂い咲き"
それは、植物が本来の時季とは異なる時に花を咲かせる現象である。
 劇中では、狂いの落葉が行使された季節は秋である為、
時季の相違は見られない。
"狂い"が指している意味が、
一方は量、もう一方は時季についての言及であり、
その方向性が異なる為にその語が含んでいるニュアンスは異なっているからである。
 しかしながら、そこに込められた意味には見るべきものがある。
 現代より遥かに自然現象をつぶさに観察してきた古人は、
通常ではない様子に深い感銘と驚きを受けた。
そして、狂い咲きを何かの予兆、
或いは神の意思の表れと解したのである。

 これを通常ではない現象という意味で共通する、
葉符「狂いの落葉」に当て嵌めてみよう。
 すると、この現象は神の意思の表れ
であると解することができないだろうか?

 「彼女らは余り戦闘は得意ではないが、人間が秋を邪魔しに来たので、
 警告もかねて少々懲らしめてやろうと思った。」(キャラ設定.txt)

 葉符「狂いの落葉」。
数多降り注ぐ落ち葉の中で、我々は神の意思を垣間見たのである。


余談 ― 秋津に見る姉妹の意匠 ―

 穂を傾けるススキを始めとする秋の草。その上に飛ぶ赤トンボ。
これは、静葉・穣子両者の
スペルカード行使中の背景に描かれた景色である。
 特にトンボは、古には秋津や蜻蛉とも称され、
秋の風物の最たるものであった。
 『日本書紀』では、神武天皇が山上より国土を見て
「蜻蛉之臀呫」と国誉めをしたという記述があるように、
トンボが人々の目にふれ、観察されてきた歴史は長い。
 その華麗に宙を舞う様子のみならず、
幼虫は水中におり、さなぎを通して成虫に変身する様子に
古人は驚嘆し、そこにこの世のものならぬ力を感じたのであろうか。
 蜻蛉という綴りは"せいれい"という音でも読むことができる為、
精霊に通じて霊的な力を持つと考えられた。
 特に、さなぎを経て変身する様子から
トンボは"再生"の呪力を持つと信じられた。

 先の神武天皇の言葉の意味は詳しく言及されておらず、
現在となっては幾つかの資料から推測することしかできない。
 しかし、もしかしたら
神武天皇はトンボが霊的な力を持つ事を汲み取って、
国土を称えたのかもしれない。

 秋の風物、トンボ。
それは姉妹が秋を司ることを示唆するばかりでなく、
霊的な力を以って、この後に続々と登場する
神々の霊性を高める演出だったのではないだろうか。